ユニバーサル上映映画祭公式ブログ

ユニバーサル上映映画祭の詳細な情報を公開しております。

新たなる文化創成

【ユニバーサル上映映画祭にみる映画芸術の文化性】


・感動を分かち合う人と人との繋がりの中に育まれてきた文化性  
 映画は感動の余韻を分かち合い・語り合うことで歴史的に発展してきた文化。私たちは総合芸術である映画分かのユニバーサル(普遍性)の可能性を追求し、ユニバーサル上映という環境が新しい文化として創造されることを願っています。


・ユニバーサル上映環境の作成過程に見る文化性
 音声ガイドやミュージックサインなどのユニバーサル上映環境を作製する上で、視覚障害者や聴覚障害者の隣に寄り添い、一緒に感動を分かち合うことをイメージしながら、一つひとつの映画を深く読み解き、手作りで丁寧に作り上げてきました。 その実践を通して、映画作品に込められた凝縮された圧倒的なエネルギーに触れ、その度に総合芸術である映画の文化性の奥深さに出会わせていただくこととなりました。
 目から入る情報と耳から入る情報を透明化した時、その行間や背景にある感動の本質がはっきりと見えてくる・聞こえてくるのです。
 これは映画は目で見るものではない。音楽は耳で聞くものではない。心で感じるものだということの核心です。 総合芸術である映画に凝縮されたエネルギーは、決して表面的な感覚で感じるものではなく、人間の本質的なところ、心の深いところを揺れ動かしてくれるのです。
 そして、この感動の波動は、自分一人だけの心に収められない余韻となって、 大切な誰かと共有したくなる気持ちが自然と込み上げてくるのです。
 私たちは、大切な仲間である視覚障害者や聴覚障害者と一緒に感動を分かち合いたいという気持ちで寄り添う実体験を通じて、この大切なことに気づかせていただくことができました。 このように映画の歴史は、一人で鑑賞して完結してしまうものではなく、感動の余韻を分かち合い・語り合うという人と人との繋がりを作り出すことで発展してきた実に奥深い文化なのです。


・会場全体に優しく広がる感動の波紋
 音声ガイドや日本語字幕、ミュージックサインなどのユニバーサル上映環境を、鑑賞する全ての人と共有するという映画鑑賞の実践は、何とも言えない不思議な感動体験を私たちに与えてくれるのです。
 感動のシーンで心が震えるような瞬間。その時、同じ瞬間を同じ会場の中で色々な人たちと共有しているのだ…。目の見えない人や耳の聞こえない人たちと一緒に、同じ感動の瞬間に共に涙したり・笑顔になったりしているのだということが、わずかにでも意識のどこかにあることによって、不思議と柔らかな気持ちが心の中に広がり、一層感動を相乗させてくれるのです。そして、その波動は会場全体の空気と共鳴して、大きなスクリーンの中に引き込まれていくのです。

 正にこれは映画文化の原点、感動を分かち合う喜びが波紋のように広がり、まるで時空をも超えて人と人とが繋がり合えるという手ごたえそのものであると言えるのかもしれません。

 

・象徴的ラストシーン
 エンディング時、感動のラストシーンの余韻が柔らかな波紋のように会場全体を包み込む中、エンドロールが流れ、ラストの音楽が流れてもほとんど席を立つ人はおりません。そして、その直後場内の照明が暗転した時には、どこからともなく「パチパチパチ」と自然と拍手が沸き上がってくるのです。この瞬間は、ユニバーサル上映ならではの象徴的な一コマ。実に会場全体の空気が優しさに包まれる何とも言えない瞬間です。


・製作過程に凝縮されるエネルギー
 映画製作の出発点は脚本に始まり、製作に携わる何百・何千・何万もの人の思いが凝縮されて一つの作品が完成します。それを100分程の尺の中にギューッと凝縮してまとめ上げるのが監督ということになります。
 これはオーケストラの演奏に良く類似しています。
 作曲家が脚本家であり、一つ一つの色彩に富む重層的な音色を瞬間・瞬間の中にまとめ上げるのが監督に当たる指揮者です。
 どちらも底知れぬ感動が人の心を打つのは、全体の力が一点に収束されている証であるのだと確信します。
 そして、この圧倒的なエネルギーは、決して目に見えるものではなく、また耳で聞けるものではなく、また手にふれられるものではありません。心でこそ感じられるものなのです。


・ユニバーサルの価値形成
 北海道ユニバーサル上映映画祭では、「見えない人には音声ガイドを」・「聞こえない人には字幕を」・「車いすの人には車いす席を」という補完的な環境を特別に準備するのではなく、あくまでも全ての人にとって有用な環境として、当たり前に共有できる環境をスタンダードとしています。さらには、このユニバーサル上映という映画鑑賞スタイルが新しい文化として創造されることを願っています。
 そして、そこに社会がまだ気がつけていない価値を見い出していくことができたならば…、その喜びを共有することができたならば…、この上ない幸せです。
 それは、「障害」は社会にとって決して特別なことではなく、普遍的事象であって、むしろ今の世にこそ必要な大切な気づきを得る価値あることであるのだということを意味し、これが同時に『インクルージョン』の本質的な価値観なのです。
「私は今の環境(社会)に適合できるのか?」ということを問うのではなく「共に喜びを分かち合うためにはどうすれば良いのか?」、「特徴に合った環境にするためにはどうすれば良いのか?」という方向に世の中の思考とエネルギーをどれだけ注げているかということが問われていかなければならないのです。環境は先にありきではありません。喜びを分かち合うため心を寄り添わせる機会さえあれば、環境は自ずと作られていきます。社会のありようも同様に。
 これが『インクルージョン』が示唆する社会の豊かさ、エクスクルード(排除)を生み出さない豊かな社会のあるべき姿なのです。