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ソーシャルインクルージョンプロジェクト2018(インクルージョンとは)

Inclusionインクルージョン

 

     ソーシャル・インクルージョン・プロジェクト  島 信一朗

 

 

インクルージョンの本質(普遍的四つの人間観)

 

一 ひとりひとりは掛け替えのない存在。全てが代用の利かない大切な存在。全ての命は尊きもの。あるがままこそが美しい命の輝き。

「 尊厳 」

 

一 ひとりひとりは、同じ存在ではない。皆違う存在。固有の良さや持ち味・得て不得手・向き不向きを有することが当たり前。尊き命の輝きは、皆違う輝きを放つ。

「 尊重 」

 

一 人間は決してひとりでは生きていけない存在。互いの持ち味、苦手や不安、悩みや苦しさ、ありのままの全てを受け入れ、心を育み合いながら、補い合い・支え合いの中に存在する。

「 共存 」

 

一 人間は繋がりの中で生きていく存在。繋がりは、同情や哀れみ、優劣ではなく、対等な存在として互いに心を傾聴し、共感し合いながら温かな距離感は紡がれていく。

「 共生 」

 

 

 

 私たちの存在は、あるがままで輝いています。この尊き命の輝きは、全て違う輝きを放ち、等しく価値ある存在。一人一人の違いを当たり前のこととして、互いに認め合い・尊重し合いながら共存する。この真なる共存の広がりによってつくられる共生社会こそが、本来あるべき自然の姿。

私たちの社会は、自らの手で輝きに気が付く機会を遠ざけてしまってはいませんでしょうか?

 

 『インクルージョン』の文脈は、障害者の…、もしくは子供たちの…、学校教育の…、といった狭義の論にとどまらず、普遍的見地から個の尊厳を問い直し、誰もが共に生きる社会の有り様を見つめていくことが大切なのです。今日の社会をつくりあげてきたのは、他ではない!我々人間。また、同じく明日の社会を築いていくのも我々自身です。無論、障害健常の別を問わずに。 

この四つの人間観が、家庭・学校・社会教育に、人づくり・物づくり・街づくりに一貫していれば、誰一人として排除しない、全ての人が共に生きていく社会が実現する。このインクルージョンの行間の中には、極めて大事な人間一人一人の存在をどう考えるか、どう見つめるかという理念が、一貫したメッセージとして込められているのです。

 

 そして、この掛け替えなき命の輝きは、優しさの波紋となってどこまでも広がり、ひいては森羅万象の普遍的な輝きと融合し、七色の光となって万物共生の世を明るく照らしていくのです。

このように社会を構成する私たち一人一人は、個を起点とし、人と繋がり、社会と繋がり、さらには自然界と共存し、生かされている存在として、心のありかたを見つめていくことが大切なのです。

 

 

 

○理念(コンセプト)

・ユニバーサリティー(普遍性)

 普遍(ユニバーサル)の対義語は特殊。決して特殊・特別の存在として区分されることのない、我々は皆等しく普通の存在。その我々人間にとって最も大切な普遍性、それは、すなわち「命の尊厳」。誰もが尊き命を有し、今という瞬間を共に生きているということ。命の重さ・価値は皆同じであるということ。

 そして、もう一つ、我々に共通する大切な普遍性は、一人一人皆違う存在であり、それぞれが固有の持ち味、得て不得手などの違いを有しているということ。表面的価値観で判断し、安易に分類するのではなく、個の違いを基本として、人間の本質をとらえていかなければならない。それも決して特別なことなどではなく、当たり前のこととして…。

 この二つの普遍性こそが、インクルージョンが示唆する我々の社会に求められる基本的な考え方です。

 

○課題認識

・社会的エクスクルード(排除)

 障害のある子供を特別な学校や学級に措置する原則分離の教育政策や、施設収容型保護政策に代表されるように、日本の障害者対策は歴史的に"分離"を基本として行われてきました。また、障害者の対策に限らず、国の福祉政策は、様々な制約と特別視の中、閉鎖的・マイナスイメージの中、静かに行われてきました。このような画一化された社会の枠組みの中で、我々は「普通」と「否普通」を自らの手でつくり上げ、言われなきマイノリティのネガティブイメージを根深く植えつけながら、静かに存在を否定し、分断し遠ざける「社会的孤立・排除」という負の遺産を数多く生み出してきました。

 一人一人をどこまでも大切にし、全ての人が「共に生きる」ことを原点とした理念は、「インクルージョン」と呼ばれ、欧米諸国を筆頭として各国では国連等のリーダーシップの下、理念実現を目指す国際的努力が展開されています。しかしながら、我が国はこのインクルージョンの推進において、他国より大きく遅れをとっているというのが現状です。それはまさしく、歴史的分離政策への固執と意識改革の遅れに起因していることに他なりませんが、我々は、未だに違いを便宜的に分けて、学び育つ場・生涯の場を選択の余地もなく強制し続けてしまっています。障害を持つ子供たちこそ、自宅から通える地域の学校に通えるべきですが、我が国のシステムは、事実上選択の余地もなく、親元から離され、生まれ育った地域から遠くの学校に強制的に分けられてしまっています。その後の生涯もしかり、家族が住む地域から離れ、一生を施設で暮らさなければならない者も少なくありません。地域で就労の場や日中活動の場を求めたとしても、まだまだ特別な場所として括られ、社会との自然的ふれあいには程遠く、特別視や否定的な印象を拭い去れぬ現状が色濃く残っています。

また、コロニー型の施設収容保護政策や老齢障害者の介護施設、精神保健医療における隔離病棟等、極めて閉鎖的な場所で暮らす当事者の知られざるその実情。社会の中には、身近にふれあう機会がないことに起因して、気が付けていないことや知らないことが実に多く存在しています。

 社会を二分してきたこの決して目には見えない根深く厚い壁は、他者を正しく理解し、受け入れ合う貴会を奪ってきただけではなく、大切な仲間の存在を否定し、同情と哀れみの陰に、マイノリティの偏見と特別視のみを残し、誰もが持つ違いという普遍の輝きとの出会いを遠ざけ、掛け替えなき一人一人の真なる力と可能性までをもつみ取ってきてしまいました。

・社会的警鐘

 同じ社会の構成者である掛け替えなき仲間たちの人権までをも無きものとしてきた社会に根を張るこの負の遺産は、もはや障害者や特定の人たちだけに限られた特別な問題などではなく、全ての人の身近に迫りくる「社会力低下」という大きな問題であると言っても決して過言ではありません。

 その証は、近年急激に増え続ける心の病の深刻化の実情。歯止めがかからない自殺者数の増加。単身障害者や同居家族の孤立死の問題。後を絶たない命の尊厳を軽んじた悲しい事件の存在とその犯罪審理の根深さ。未来への失望感は、もはや社会全体に広がっていると言えます。そして何よりも、社会の宝である子供たちや若者たちを取り巻くいじめや不登校、虐待や引きこもりの深刻化の問題等々。これらの悲鳴が、我が国の福祉の危機を確実に教えてくれています。

 我々の社会は今、コミュニティ力の有り方、特に社会全体の生きる力そのものが問われています。

 

インクルージョンの信条

 我々は、今なお続く歴史の過ちを認識し、反省の地に立ち、自らの手で積み上げてきてしまったこの根深い問題から目をそむけることなく、真正面から向き合い、社会を根底からつくり変えていくという気概を持ち、インクルージョンが示唆する命の尊厳と個の違いという人間の普遍性に立ち返り、優劣などの断片的な価値観にとどまらず、違いを肯定し、一人一人の全てを温かく受け入れ合える排除なきコミュニティを一日も早く構築しなければなりません。そして、これら一つ一つを確実に繋ぎ合わせながら、人々の意識と共に社会力を総合的に高めていくことが求められています。

このインクルージョン理念の実現に関し、他国より大きく遅れた日本でも、全国各地で障害当事者や家族の意識改革の機運がうかがえるようになるなど「障害観の変革」は確実に高まって来ています。また、政府もようやくながら、国連で採択された「障害者権利条約」に背中を押される形で、障害者基本法をはじめとする各種関係法令等の改正及び制定に着手してきました。しかしながら、本質を置き去りに根本的な問題から目をそむけ、将来に向けた改革の姿を描けずに、急場しのぎでつぎはぎだらけの改正にとどまっているというのが実情です。

また、社会環境の整備は、ソフト(意識)・ハード(環境)共に地域の実態を置き去りに当事者不在のままに進められている感は否めず、障害者や家族といった当事者たちには、期待感というよりも、社会への失望感の慢性化を与えてしまっているというのが我が国の実状なのです。

このように無責任な現実逃避が、他人事という抑圧が、これ以上無関心という冷たい風の中で続けられて行くならば、障害者たちのみならず、未来の宝である子供たちや若者たちを初めとして、社会全体から希望を失わせてしまい、「人間の本質」でさえをも見失わせてしまうほどの危険性を、この声なき声は警鐘を鳴らし続けています。

・行動指針

 今、社会はようやくこれらの反省の地に立ち、忘れかけていた大切なことに気付きはじめました。障害者といわれる人たちが人として当たり前に暮らせる社会。これこそが本当の健全な社会であることに…。子供たちや若者たちが、誰一人として排除することのない社会を愛し、夢や希望を与えることのできる社会。これこそが社会を構成する我々の最大の使命であることに…。そして、一人一人が支えあい、心と心がふれあえるコミュニティを紡ぎ合うことで、社会は大きな力を得て、確実に変わって行くことができるということに…。

 インクルージョンは、決して大きなことではなく、極々当たり前のことを一人一人が出来ることから実践しようとする行動指針、明日を拓く道しるべ。誰にでも出来ること、今からできることを少しずつ家庭・学校・地域社会などで実践する。今まさに、私たちは、この昏迷の社会のど真ん中に勇気を持って立ち上がる時が訪れました。そして、社会もまた一人一人の力を必要としている!障害健常の別を問わず、全ての人たちが等しく社会を愛し、社会を作り上げる尊い力を有しているということに、一刻も早く気が付かなければなりません。私たちは心から望む。誰一人として排除されることのない、全ての人が優しく健やかに生涯を暮らせる社会を愛したいということを!

・ミッション(使命・役割)

 「インクルージョンの本質」を誰もが胸に刻み、障害観・人間観の原点に立ち返ると共に、社会福祉の資本価値を問い直し、全ての人が生き生きと平等に存在価値を認識しあえるコミュニティの構築を目指す。インクルージョンが意味する大切なミッションは、様々なコミュニティにおける人と人との自然的ふれあいの中で、個の違いを肯定的に紡ぎあえる機会と環境を広げていくこと。決して孤立や排除(エクスクルード)を生み出さない社会的意識を醸成すること。心ふれあう機会さえあれば、優しさの波紋は無限に広がっていくのです。

 そして、もう一つ大切な視点は、特に子どもたち、若者たちに注がれる眼差し。彼らは社会の宝。社会を作っていく未来の財産。その子どもたちを育てるのは親、学校の先生だけではなく、社会全体で守り育てられていかなければなりません。十分な愛情をそそがれ、地域全体で見守られ、心を育んでいかなければ本来はならないもの。そして、このことが未来を明るく照らす礎となるのです。

 時に私たちは、社会を批判したり、嘆いたりします。しかし、それを口にする私たちも社会の構成者。その社会をつくり出している責任者の一人なのです。私たち一人一人が「共に生きる」というインクルージョン理念を胸に刻みながら、暮らし、人づくり・まちづくりに生かしていくこと。それが地域を良くする確かな道であり、豊かな社会になるための確実な方法であるのです。

 インクルージョンは、私たちが忘れかけている人間観を、一人一人の心に届けてくれると同時に、今の社会に根を張る課題の本質を鮮明にして、私たちの歩むべき道を足元から照らしてくれるのです。

障害者が生涯住みやすい街は、高齢者も住みやすい。障害者や高齢者が住みやすければ、すべての人が住みやすい。我が国には、まだまだバリアがたくさんあります。物的環境整備も必要ですが、特に心のバリアを解こうとする時、この四つの人間観が最も大切になるのです。

 

○掛け替えのないひとりひとり

(社会ジグソーパズル論)

ジグソーパズルを構成するのは、二つと同じ色形のないたくさんのピースが、全てが組み合わさり、それぞれに自分にしか担うことのできない役割を果たすことによって、初めてすばらしいアートが完成します。このことは、我々の社会に置き換えてみても全く同じことが言えるでしょう。この一つ一つのピースが一人一人の個性であり、最後に完成されるアートが社会ということになります。

ここで注目すべき点は、このピースの色や形には二つと同じものがないということ、さらに必ず凹凸があり、互いに補い合っているということです。そして、一つとして余るものもなければ、逆に欠けることもないわけです。つまり、誰もが社会の大切な構成員ということになります。また、例え類似した色彩のものに分類することができたとしても、二つのグループに分けてつくることなど決してありえないことなのです。つまりは、障害者の社会と健常者の社会などに分けて、社会をつくることなど無論できるはずのないことであるということです。

現在の社会も同様に、全ての人が輝ける場所が必ず一つは存在します。その人しか果たすことのできない役割、無条件に必要とされる存在場所が必ずあるのです。そして、全てが互いに補い合うことで、その価値は輝きと化すのです。

社会づくりのアーチストは、掛け替えのないひとりひとり。共につくり上げてまいりましょう!