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第12回北海道ユニバーサル上映映画祭in七飯 シンポジウム 「ユニバーサル社会を築こう」

第12回北海道ユニバーサル上映映画祭in七飯

シンポジウム

「ユニバーサル社会を築こう」

パネリスト:

函館地方法務局長   原口 克広 氏

北海道教育大学教授  小栗 祐美 氏

北海道ユニバーサル上映映画祭

  実行委員会代表    島 信一朗 氏

コーディネーター:

北星学園大学教授   鈴木 克典 氏

司会:

北海道教育大学3年  渡辺 真気 氏

 

 

司会/それでは、ただ今よりシンポジウム「ユニバーサル社会を築こう」を開始します。

進行は、北海道教育大学3年の渡辺 真気(わたなべ まき)さんが行います。

それでは、渡辺さん宜しくお願いします。

 

渡辺/みなさん、こんにちは。

映画「みんなの学校」は、いかがでしたでしょうか?

いろんな背景を持った子どもたちが集まった大空小学校が、どのような学校なのか、学校内の様子や人間関係、地域を巻き込んだ学校の実践を見ることができたのではないかと思います。当映画祭は「全ての人が感動を分かち合う」みんなで楽しむ映画祭にしようと取り組んでいます。「多様性を尊重する」という意味において、映画の舞台となった大空小学校と目指す方向性が一緒ではないかと思います。

 

それでは、ただいまより、シンポジウム「ユニバーサル社会を築こう」を始めます。

私は進行役を務めます、北海道教育大学函館校3年の渡辺 真気(ワタナベ マキ)と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/続きまして、本日ご登壇いただく方々を紹介いたします。

私の左となりが進行をサポートしていただくコーディネーターの北星学園大学教授、鈴木 克典さん(スズキ カツノリさん)です。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/鈴木さんは都市計画を専門とされ、まちづくりやユニバーサルデザインに関して主に研究をされています。また、日本福祉のまちづくり学会北海道支部長を務められています。

次に、パネリストのみなさまをご紹介いたします。

向かってスクリーンの右側から、函館地方法務局長の原口 克広さん(ハラグチ カツヒロさん)です。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/法務局では人権擁護の取り組みに関わられており、本日は、特に子どもの人権に焦点を当ててお話をしていただく予定です。

原口さんの右となりが、北海道教育大学教授の小栗 祐美さん(オグリ ヒロミさん)です。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/小栗さんの専門は日本美術史です。昨年まで北海道教育大学附属特別支援学校の学校長を兼任されていました。今日は、子どもの教育という観点から、お話をしていただきます。

小栗さんの右となりは、北海道ユニバーサル上映映画祭実行委員会代表の島信一朗さん(シマ シンイチロウさん)です。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/当映画祭は今年で12年目を迎えます。島さんはその代表として、これまで運営に尽力されてきました。今日は、映画祭の立場からお話される予定です。

みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

 

次に簡単に、シンポジウムの流れを説明いたします。

シンポジウム全体は約1時間半を予定しております。

まずパネリストの方に10分ずつ発言をしていただいてから、鈴木さんにパネリストの皆さんのお話を受けて、ご発言をしていただきます。

そのあとで、さまざまな意見の交換ということで、10分ほどの時間でフロアーから質問や意見を募ります。

その後、パネリストの方に各5分で追加の発言をしていただき、最後に5分程度で、鈴木さんからまとめの発言をしていただきます。

それでは、登壇者のみなさまから、お話を伺っていきたいと思います。

最初に、原口さんからお願いします。

 

原口/函館地法法務局の原口と申します。

よろしくお願いいたします。まず、法務局の仕事について簡単に説明します。

法務局は、国の行政機関として、未来につなぐ相続登記を始め、登記の仕事とともに、法務大臣から委嘱を受けた人権擁護委員の方々と一緒に、人権擁護に関する仕事をしております。法務局と人権擁護委員は、「法務省の人権擁護機関」と言います。

次に「世界人権宣言」について簡単に話します。

かつて人権問題は、それぞれの国の中での問題と考えられていて、20世紀、特に第二次世界大戦中では特定の人種の迫害、大量虐殺などの人権侵害が横行しました。

そのような経緯から、「人権問題」は国際社会全体に関わる問題であり、「人権の保障」が世界平和の基礎であるという考え方が主流になってきました。

 

そこで、昭和23年1948年12月10日の国連総会で、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として、「世界人権宣言」が採択されました。

「世界人権宣言」は基本的人権尊重の原則を定めたもので、全ての人々が持っている様々な権利を内容とし、これは日本を始め、世界各国の憲法や法律に取り入れられております。また国連では、採択された日の12月10日を「人権デー」と定めて、加盟国などにこれを記念する行事を行うよう呼びかけています。

日本では「人権デー」の12月10日を最終日とする12月4日から10日までの一週間を「人権週間」と定めて、人権尊重思想の普及高揚を図るため様々な取組を行っています。

ここで「人権」について考えます。

御来場の皆様は、「人権」についてお考えになったことがありますでしょうか。

「人権」というと、難しいイメージを抱いてしまうかもしれません。

簡単に言いますと、人が人らしく生きる権利。そして皆様が、自由に幸せに生きることを追い求めることができる権利です。

昨年の夏に開催されたリオデジャネイロパラリンピックで、函館市出身の辻 沙絵(つじ さえ)さんが陸上女子400mに出場し、銅メダルを獲得しました。

すばらしいニュースでしたね。

辻沙絵さんは右ひじから指先までがない「先天性前腕(ぜんわん)欠損」という障害を持っている人として、パラリンピックに出場しましたが、決勝での力強い走りに、私はオリンピックに感じるのと同じ感銘を受けました。

また、ピアニストの辻井 伸行(つじい のぶゆき)さんを御存じでしょうか。

辻井 伸行さんは目が見えないという障害があっても、ほかのピアニストと同じ舞台に立ち、世界的なピアニストとして多くの人々に感動を与え、すばらしい活躍をされています。

このお二人のように、世界には様々な障害を持っていても、人々に障害のない人と同じ感動を与えている方々がいます。

障害を持っていてもいなくても、重くても軽くても、誰もが等しく自由と幸せを追求できる「人権」を持っています。

 

次に「ユニバーサル共生社会の実現について」お話しします。

私たちが築いている社会では、身体に障害がある人、高齢者や未来を担う子どもたち、言葉や文化が異なる外国の人など様々な人が一緒に暮らしています。

御来場の皆様に、「いっしょに学ぼう!「障害のある人の人権」~パラリンピックへ向けて~」と題する冊子を、お配りさせていただきました。

是非、御一読いただきたいと思います。

 

2020年、東京オリンピックパラリンピックの開催に向けて、世界中から障害のある人も含め、様々な方々が日本に集います。

障害の有無にかかわらず、女性も男性も、高齢者も若い人も、そして外国の人も、全ての人がお互いの人権を大切に支え合い、共に生きていく社会を実現させるための人権啓発活動を一層展開していくことが求められています。

次に「未来の社会を担う子どもたちの人権について」お話しします。

児童・生徒が、いじめや体罰を理由に自ら命を絶ってしまうといった痛ましい事案が後を絶ちません。

子どもは一人の人間として最大限に尊重され、守られなければなりません。

法務省の人権擁護機関では、21世紀の社会を担う子どもたちの人権を守るため、「子どもの人権を守ろう」というテーマを掲げて、人権啓発活動を行うとともに、人権相談や調査救済活動に取り組んでいます。

 

「子ども」に関する人権啓発活動の一環としましては、思いやりの心を持つことの大切さ、生命の尊さを学ぶ「人権教室」や、左手の写真ですが、「人権の花運動」を取り組んでいます。

また、人権問題についての作文やポスターを書くことにより、人権尊重の重要性について理解を深めるとともに、豊かな人権感覚を身に付けてもらうことを目的とした「人権作文・ ポスターコンテスト」を、毎年実施しています。

 

御来場の皆様には、今年度の人権作文・ポスターコンテストの応募リーフレットを、お配りさせていただきました。

是非、御応募いただきたいと思います。

 

終わりに、先ほど上映された「みんなの学校」を鑑賞させていただきましたが、舞台となった大阪市内の公立小学校では、障害のある子もない子も同じ教室で学ぶ中で、健やかに成長していく様子がとても印象的でした。

また、子どもたちに寄り添う先生方、保護者、地域の人たちも、懸命に「みんなの学校」作りに取り組んでいくことで、子どもたちと一緒に成長しているのだと思いました。

皆様は、どのような感想を持ちましたでしょうか。

21世紀は「人権の世紀」と言われてます。

「みんなの学校」と同様に、21世紀を「みんなで築いていく人権の世紀」というように考え、違いを認め合う心を育み、これを未来へつなげていくための活動を展開していくことが重要です。

以上です。ありがとうございました。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/原口さん、ありがとうございました。

次に、小栗さんお願いします。

小栗/私は今年の3月まで、北海道教育大学附属特別支援学校で、6年間校長を務めました。

今日はそこで私が体験したことをお話ししたいと思います。

それはこのタイトルにある「ぼくたちはアートでつながっている」ということです。

私の場合は、アートで子ども達とつながる、そしてそれを地域に繋げていくという活動を通して、地域社会の中で皆が幸せであってほしいなと考えました。まず、はじめにこの絵をご覧ください。

これは、附属特別支援学校の卒業生、現在は卒業されていますが、七飯町の佐久間 智之(さくま ともゆき)さんが、高等部の3年生のときに描いたものです。

この絵を見ていると、函館の街に明るい光がふり注いでいると感じます。

それは、絵の中の人々が、どの人も皆、幸せそうだからです。

絵は金森倉庫や函館山と描かれていますが、何といっても主役はここに描かれている人達です。たくさんの人が描かれていますが、どの人も目や口・鼻が具体的に描かれてないんですけども、みんな幸せ感を持っています。

そして人と人が語り合う、ここに色々なコミュニケーションが感じられます。

私はこの作品を多くの人に見てほしいと思い、展覧会を蔦屋書店で企画しました。「佐久間 智之くんからの贈りもの アートは楽しい」というタイトルです。

これを企画したときには、この展覧会を見に来てくれる人がどれだけいるかは分からないが、この絵が本当に楽しいので、この絵の前にみんなで集まって語り合いたいと思いました。これは、展示風景です。

蔦屋書店の本棚の一部を借りて、佐久間さんが、それまで描いてきた作品を展示しました。

そしてある1日を、トークショーしました。そこには企画した私達とFM局のキャスターや美術館学芸員、美術教師などが集まり、佐久間さんの作品を巡って自分が佐久間さんの作品に寄せる思いをただただ語るというものでした。これだけの沢山の人が集まってくれたんですが、この多くの人たちは、佐久間さんを知らない一般の方達です。

このときアートというものは、アートそのものを介在していろんな人たちがここで交差することが出来るかなと思いました。

ここから附属支援学校の話。北海道教育大学付属特別支援学校では、「人とかかわり合いながら自分の良さを発見し拡げ、地域の中で生きる児童生徒を育成する」目標を掲げています。自分のよさ、得意なことに、アートはもちろん入ります。

佐久間さんのようにアートが得意な児童生徒はもっとたくさんいるはずだと私は思いました。その得意なこと、楽しいことは何かと、子どもが将来幸せになるために考えていきたいと思いました。アートが互いの立場や認識を越えて様々な背景をもつ人々の、理解を深める社会を描いている、そう思うからです。

私の大好きな写真です。

これはピカソのつくった顔の前で、中学部の男の子が、ピカソの作品の真似をしている所です。

素直な心を持っていると作品と一体になれる。本当に素敵だと思いました。

そして、次の段階として、子どもたちの展覧会をしたい。

そのとき、美術館の作品と一緒に並べたいと思いました。

美術館の展覧会、特別支援学校の生徒の作品を展示した。

その中には、いろいろな絵がありましたが、いくつか紹介します。

これは、戦争で家族を失ったペットのことをかいた犬の物語です。目は涙で潤んでいます。口は、への字に曲がっています。

この絵を見た時になにか怒りを感じている、なにか悲しみがある、と感じると思います。

背景は、めちゃくちゃに壊されたものがある。

これは、反戦の絵だと思いました。

作者がそのことを意識したかは分からないが、私達にその思いが伝わってきます。

 

それから肖像画

学校の友達や先生を描くのが得意な子がいました。

この子の作品は屏風に貼ってみました。

 

その生徒の詩を書家の方に色紙に書いていただき、絵を合わせて表具師さんに屏風にしてもらいました。

また、素敵な陶板を作る子がいました。

その陶板を焼いてくれたのが函館の陶芸家の方でした。

それから線をたくさん書いて、線がモチーフの子どももいた。

この子は、こんな素晴らしい線で、花火のように、花畑のように描いてくれました。

この子は、30分たっているのも難しい体が弱い子ですが、この間、私と一緒に30分以上いた。

私は、この体験が今でも忘れられない思い出になっています。

そしてこれを昨年のユニバーサル上映会の時に一緒に展示していただきました。その時大学生が一緒に手伝ってくれて、点字をしたり説明をしたりしてくれました。

大学生にとっても、特別支援学校の生徒が身近な存在になっていきました。

最近はこのようなこと。

さきほどの、ピカソの真似をした子ですが、「どんぶり」のシリーズをいっぱい描いてもらいました。

それを、私達がこのようなポスターにして、現在、七飯のどりー夢さんの食堂に飾っていただいております。

こうした活動を通じてアートは人と人を結び付けていく、地域社会の中で大きな役割を果たすと感じています。

特別支援学校で、私はたくさんの事を学びました。

以上です。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/ありがとうございました。

続いて、島さんお願いします。

 

島/はい、島でございます。

本日はありがとうございます。

私の方からは、今までの映画祭の取り組みということから、今日のテーマでもあります未来を築いていく子供たちに向ける視点でいくつかお話しします。

その前にこの映画祭開催にあたり、進行している教育大の学生もそうですけど、運営の準備には、教育大学の地域プロジェクトという学生のチームで運営を行っています。ボランティアではなく、主体的な運営主催者という自覚のもとで今日の日を迎えています。

映画祭が、これまで培ってきたノウハウをより若い世代たちが、主体的な気持ちでより近い立場でかかわり、皆さんに提供する。

そういう体験を通じて、いろんなことを学んでもらうことを昨年から実施しています。その中でいろんなことを学んで卒業していく若者達が中心になった未来が出来上がった時には、きっと温かい社会ができると信じて地域プロジェクトの取り組みを進めている所でありました。

私たちの映画祭の歴史のなかで、たくさんの私達自身が学んだことがありますが、その中の1つが、子ども達、若者の心の変化に私達大人達が逆に温かい気持ちをいただけたり、新たな気づきを得たり、そういうことがたくさんある歴史でした。私達の映画祭では、小・中・高と段階に分けたワークショップを開催してましたが、そういう取り組みの関わりの中で、ある中学生の女の子が視覚障がい者と一緒に、今日皆さんに見てもらったような映画を、隣の席で一緒に見ていただくという経験を通して、その女の子は自主的に自分で目をつぶって、耳から入る映画の音でどんなふうに映画を感じ取ることができるのだろうかということを、言われるのではなく、自分から実践して体験してくれました。

その女の子は映画が終わった後、耳で、「映画を見てみたが、わかることとわからなかったことがあるが、大きな事に気がつけました。」と話て、次のようなことを教えてくれました。

「普段目でみてるものだけでなく、いま生きてる中で私の周りにはたくさんのものがあるんだ。気づかなかったことがたくさんあった事に気が付いた。」と

翌年、その生徒は2回目に参加してくれた時、こうも言ってくれました。

「昨年の映画祭でたくさんの経験をさせていただいて、私の日常生活が変わりました。朝、目が覚めたときの日差しだったり、学校で出会う仲間達との会話や笑顔。街の風景などそんなものが、全て今まで見えなかったものが、たくさん見えるようになりましった。今まで、自分は人付き合いが苦手だったが、積極的に話ができるようになりました。やはり、良い友達ばかりではなく、いじめや嫌いな子もいましたが、そういう子たちの言葉も前向きに聞ける自分になれました。」

 というように、翌年、私に嬉しそうに教えてくれました。

映画祭の後には、感想文を書いていただいていますが、そこにもそのような旨の話があった。

私自身、主催者の一人ですが、こういう機会で、ひとりの若者の心に何か大きな種を植えれたと、改めて思いまして、我々のやったことに間違いではなかったと確信した一コマでした。

今日見たように、私たちの映画祭では、音声ガイド、それから左でのミュージックサイン、車椅子のスペースもたくさんとれる環境。

日本映画であっても、日本語での字幕を付けて上映しております。

私自身、当初は目が見えない自分には映画というのは、まったく無縁、遠い存在だと思っていましたが、この映画祭を運営していく中で、様々な人達との関わりの中で、見えない人と一緒に映画の感動を分かち合おうという心に、私はこれまで育てられてきたような気がします。

私自身もたくさんの気づきがありました。車椅子で来場されている、我々の仲間。

映画は好きだけど、映画館はあまり行かない。

それは、なぜか。と、考えた時に、映画館には、車いすのスペースがあることは知っていましたが、「車イスのスペースがあれば映画が観れる」と思ってしまいますが、その方に聞いたら、その環境は一番前の一番端の席で、スクリーンを見上げていたら首が痛くてとても2時間は大変なのだと。また光が反射して、字幕など十分に見れる環境では無いんですよと教えてくれたのです。それ以来うちの映画祭では選択してもらえる複数の車いすスペースを準備するようになったのです。

その人が映画祭に参加してくれた時、受付で、「どこのスペースを選んで観ますか」と聞かれ、「私は、とても感動しました」とおっしゃってくれました。

また「今日の映画祭で一番楽しませてもらったのは、わたしだと思います」と胸を張って、嬉しそうに私に報告してもくれたのです。

この出来事には、私は頭を強く打たれた気がしました。

映画を目で見て楽しむことは、私には、まったく無縁と思っていましたが、少しは近づいてきたかなと感じていたのですが、映画鑑賞は目で見るというだけのハードルではなく、環境によってもっとたくさんのハードルがあるということに気がつかされました。

さらに、そういうことに、一緒に映画館で見ていたとしても、車いすの人たちが、そんな環境で映画鑑賞を強いられていたことに気がつかなかった自分に大きくショックを受けたのです。

この映画祭では、いろんな人たちがこの世の中にはいるのだということに当たり前に気づける。そんな世界を目指しています。

「映画を見る」という機会だけとっても、やはり、いろんな違いがあって、障壁があって、思いがある。

スクリーンの左にはミュージックサインで、流れている音をパフォーマンスしている人たちがいる。

「アレは何だろう、どういう意味があるんだ」と、ちょっと立ち止まって考える機会を与えることによって、「そうか、その先には、音の聞こえない人たちも、この会場で一緒に映画を観ているんだ」と気がつくことができるのです。

また音声ガイドが流れていることによって、この解説は何だろうか?「そうか、目が見えない人たちがいるんだ」と。

車椅子の人たちが笑顔で会場の真ん中に座って映画を観ている姿を通しては、「そうか、映画館ではどうだろうか・・・?」と、このようにちょっと立ち止まって、自分以外の人たちのことを考えられるようになれたら素晴らしいと思うのです。

そんな世の中にするために、映画だけでなく、お互いの違いに当たり前に自然にふれあう環境があることが大切なのです。

この映画のように、1つの学校が、皆の学校として育て合いながらつくられていき、それが大きく拡がって、皆の社会になっていくことを願っているのと同じように、この映画祭も皆さんに育てられてきた映画祭ですが、これからもこのような機会を通じて、少しでも一人一人の尊厳を大切にしあい、そして一人一人のいろんな違いを、特別ではなく、みんなが持っている違いを、当たり前に交接する、インクルーシブな世の中が一日も早く訪れることを願ってやみません。私は、今日の映画を見させていただき、私自身、たくさんの人たちに支えられ、受け止めていただいて、今が存在すると改めて強く認識させられたところです。

こういう子どもたちの学び、成長の姿、その姿を支えるたくさんの人たちの心がある。

そういう姿を見ることで、私は、また1つ勉強させていただいたと思っています。

この映画祭がわずかでも一人一人に対する暖かいまなざし、そういうものに触れあう場になってくれるなら、この上ない幸せです。

私の方から映画祭を通じてという事で、子供たち、若者達に向ける視点でお話をさせていただきました。

本日は、ありがとうございました。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/ありがとうございました。

それでは、パネリストの方のご発言を含めて、鈴木さんから、ご発言お願いします。

 

鈴木/こんにちは、北星学園大学の鈴木です。

本日、コーディネーターの役目を仰せつかってます。

ただいまの3名のお話を頂戴したわけですが、私が、おこがましくまとめるようなことはできませんので、分かりやすく説明していただいたので、私がきづいたキーワードを少しお話してから私のほうから、紹介したい画像があるので、そのへんを少しご紹介して前半の私の話とします。

プロジェクターをご覧ください。

それで、キーワードとしてご紹介します。

原口局長様には、「世界人権宣言」法務局の業務を通じまして、人権について、わかりやすく解説していただきました。

また、「人が人らしく生きる権利」として、わかりやすく表現していただきましたが、先ほどの映画の中でもいろんな形での表現がありましたが、「ありのままで」ということで、そういった形で、自然にその雰囲気になるのが重要であるというお話だったと思います。特に本日のテーマの「子どもたちの人権」について、それらの取り組みについて話していただきました。

また映画からのお話としては、さまざまなこどもが同じ教室でみんなで学ぶというお話でしたが、まさしく映画祭も、私の個人の表現としては、いつも様々な人が同じ空間で同じ映画をみて同じように映画を感じて、感動するという表現をさせていただいておりますが、まさしく同じようなことと思っております。

もうひとつ、北海道教育大学の小栗先生からは、アートでつながることで、それが地域でつながっていく、そういう話だったと思います。

特別支援学校でのご経験から、関わりの中で学ぶ。

それぞれの子どもたちが得意なこと、楽しいことを、どんどん見つけていくということだったと思います。

また、子どもたちのアート作品とか、様子を表した画像を見せていただき、皆さんにも分かりやすく伝えていただいたと思います。

映画祭実行委員会の島代表からは、自分たちの実行委員会の活動がございましたが、もう12年になるということで、敬意を表したいと思います。

自分達の活動でとどまるのではなく、それだけでも素晴らしいが、それが教育大の地域プロジェクトとつながり、若い人たちに伝えていく。

教育大は教育大ですので、将来的には子ども達に、教員になっていく人もいるでしょうし、自分達の学びにも繋がっていくと思います。

映画祭を通していろんな経験から、子供たちの視点として小中高生のワークショップの体験とか気づき。また、どこでも車椅子スペースなどのユニバーサル環境について、お話がありました。

また、違いについて当たり前にみんなが触れあえることが重要だとのことでした。島さんは、普段からおっしゃっていますが、「インクルージョン」、インクルーシブな社会。理想的というんですかね、別に言葉に表さなくても当たり前のような社会になったらというのが重要だと感じます。

続きまして、若干の画像をご紹介させていただきます。

実は、私、一昨年ヨーロッパにまち作りやユニバーサルデザインの視察でいきまして、その内の1つに、フランスのフライブルグという街がありました。その中にヴォーバンという地区があり、ここは非常に環境都市で有名な街で、組合を作って、住民が自分たちで街を作っていくという街です。

本日、時間もありませんので簡単にすませますが、1人1人が一緒になって、自分達の街を作っていこうという事で非常にがんばっている地区です。

そのお話をさせていただきます。

2枚目の画像は路面電車で繋がっている街ですが、非常に公共交通で行きやすい地区です。

3枚目の画像は、住居部分の外部を写した写真です。

黄色い矢印にあるサインがあります。

皆さんに、これを見せたかったのですが、4枚目はこれを拡大した写真です。

青地に青い背景ですが、上の部分に車のイラスト、あと家のイラストがあります。

手前に大きく大人と子どもがボールで遊んでいるサインになっています。これは、遊びの道路というサイン。

この道路では子どもの遊びが優先なんです。

車は優先ではありません。

子どもが遊んでいるときには、車は入ってくるなということだと思いますが、最近子どもの遊び場がなくなり、公演でもボールが使えないだとかという話もありますが、こういった子どもを大切にしている街なのです。

次の画像は、裏通りの道路。

奥に、子どもを連れたお父さんが見えます。

これは、自転車で牽引する小さなベビーカーですが、子供ど一緒に親子で歩いている姿を非常によく見かけました。

また、黄色い矢印のところにサインがありますが、似たようなものが日本にもあります。

お母さんが、子どもの手をつないで歩いているサイン。

これもやはり、こういった親子連れで歩くのが優先という思いが込められているのではと思います。

これは、ベビーカーの拡大画像です。

これは、違う所で写した写真ですが、これもベビーカーを横から撮った写真。

また8枚目ですが、お店が見えます。

お店らしくないようにも見えます。実はこの地区では、自分たちの地区の店は、自分たちで選んでいます。

自分たちで交渉して、自分たちで入ってもらうのです。

子どもの店もあります。

子ども用品のお店が欲しいということで、こういったお店が入ったそうです。

この画像もそうです。

9枚目です。

あと他に見かけたサインを、ご紹介したいとおもいます。

一枚目はスケートボードと自転車の床サインですが、実はスケートボードは嫌がられる場合がありますが、こうして、きちんと通行帯をわけることで、スケートボードや自転車の人も通行できる権利といいますか、それを守ることができるのだと思います。

また、次の画像はミュンヘン空港での写真。

日本にもありますが、授乳室のサインです。

ほ乳瓶のイラストがありますが、ここからは、何か、子どもを大切にするような、非常に赤ちゃんを大切にする思いが込められているような気がいたします。

また、これは、次の画像は、男性トイレですが、最近、育メンがはやっていますが、お父さんがオムツを替えられているようなサインがあります。

赤ちゃんに、育メンでおむつ替えのできるスペースがあります、そういうことが表されているのです。

次にバスですが、時間もあれですので、進めます。

車いすのサインだけではなく、車椅子スペースにベビーカーのスペースのサインもちゃんと書いてあります。

日本ではあまり見かけませんが、きちんとベビーカーも車椅子スペースに、きちっとスペースにいてもいいと思うのですが、ベビーカーのかたもどうぞ使ってくださいと、メッセージが込められていると思います。

最後は大聖堂ですが、これ歴史的建造物で石畳ですが、雨の日に撮りましたのではっきり画像でわかりますが、黄色い矢印を見るとここだけが石畳の目地が埋められて、きちっとベビーカーや車椅子が通りやすくなっています。

ただ、歴史的な雰囲気を壊していない。

こういったさりげないことが、非常に評価できる画像ではないかと思っています。

時間もきておりますので、私の話はこれで終わりにいたします。

どうもありがとうございました。

 

会場/(拍手)。

 

渡辺/鈴木さん、ありがとうございました。

それでは、フロアーから質問やご意見を聞いてみたいと思います。

お一人さま3分程度でお願いします。

質問やご意見がある方は、挙手をお願いします。

 

渡辺/お願いします。

 

会場/教育大学の山岡といいます。今日、映画もおもしろかったし、シンポジウムの皆さんの話を聞いていくつかヒントをもらった気がします。

僕は映画の感想から先に言いたいですが、印象に残った言葉は、校長先生が言った「みんなが一緒に作る学校」を強調していた。それはいまの社会の風潮に対する批判、つまりトップがいて上からこれをやれ、それができないのはどこに責任があるんだ、というのが今の風潮になっていると思います。ここでやろうとしていることは、みんなが何ができるか、どういう人がいて凸凹がある、その中で自分たちは、何を作ろうとしているのか。そういう事を目指すという事で、非常に感銘を受けました。

3人の方、鈴木先生の世界の様子の話を聞いて気が付いたのは、この地域、函館、七飯、北斗、もっと住みよくなるヒントがここにあるとつくづく思いました。

質問ということにはならないが、いったいどういうことできるか?映画祭がずっと続けてこられたのも、「そういうユニバーサル社会の一つとして、こういう映画祭があってもいい」と始められたと思いますが、そのような映画館も常設されればいいですが、もっともっと見つけていくことも大事かなと思いました。

感想でしたが、ありがとうございました。

 

渡辺/ありがとうございました。

他にご意見や質問のある方はございませんか?

お願いします。

 

会場/いろいろな話をありがとうございます。

はこだて未来大学の木下誠子と申します。

質問と言うよりは話の感想です。

鈴木さんの話の、いろんな世界的にもあるユニバーサル環境の試み等のお話、すごい素晴らしいと思い聞かせていただきました。

たぶん、道路での道、バスでのベビーカーのサインなど、いろいろあったんですが、私が思うにそれをそのまま日本に入れても、きっとすぐ良くなるかといわれても、たぶんそんなことはなく、映画でもありましたが、大事なのは相互理解というか、困っている人の話を聞いて、それを、じゃあ、それに対して、自分たちが何ができるかというのが大事だと感じています。ふだん私の研究で、目の見えない人と話しをすることが多いんですが、その中で、電車などで、自分の席を譲ってくれる人はいるが、空いている席を教えてくれる人はいないという話をお聞きします。相手がどう困って、それに対して自分は何ができるのか、それを考えるのが「ユニバーサル」であるのだと感じています。

このような環境を作っていく中で、物理的サインだけでなく、地域のコミュニティや、受け入れ態勢をつくっていくというのが大事なのだと、シンポジウムを聞いて思いました。ありがとうございました。

 

渡辺/ありがとうございました。質問やご意見がある方は、いますか?

発言していただいたみなさま、ありがとうございました。

それでは、会場のみなさまからのご意見を含めて、再度パネリストの方々に各5分程度で発言をお願いしたいと思います。

最初に原口さん、お願いします。

 

原口/最後に5分程度ということで、映画の感想なども含めてお話をさせていただきます。私も先ほどの発言の中でお話しさせていただきましたが、「みんなの学校」というタイトルですが、それは地域のみなさん、先生方、そしてまた子どもたちの含めて作る学校という意味であると思うんですが、そしてまた学校でもって、子どもたちが成長していく、そういうことだとも思うんですが、私はもっと考えてみて、それで成長していってるのは子どもたちだけだろうか、と。

子どもたちだけではなく、先生方もそうですし、たぶん地域の方、保護者の方も、「みんなの学校」で一緒に成長していっているのだと感じました。

このような学校がもっとたくさんあればいいなというのが、率直な感想です。

そして思うには、やはり、さきほど障害のあるかたとの関わりあいというお話がありましたが、日常的に関わる、そういう経験が子どもの時代から続いていくことが普通のことなんだというそういう意識になることが、一番大切だと感じたしだいです。

実は、私も、あまり、皆様には直接分からないかもしれませんが、小さい頃に高熱を発して、太ももに筋肉注射をされた影響で、太ももの筋肉の一部が短縮するという病気になって、走る時には他の子ども達より遅いということがありました。でも中学、高校の時に野球部に誘っていただいて、一緒に野球をしました。

その時には、ちょっと足が遅いからということではなく、同じ選手候補者の一人として、同じように練習をして、同じように扱ってもらって、そして卒業させてもらえたというのは、私のこれまでの人生の大きな部分を支えてくれているのかなというふうに感じています。

これも「みんなの学校」ほどではないですが、そういう足が若干悪い野球部員を他の部員と同じように扱ってくれた、先生や先輩達のおかげかなと感謝している次第です。

とりとめない話になりましたが、このように障がいのある方も、お子さんも、これからの社会は、外国の方もたくさん見えて、いろんな考え方の違う皆さんがたくさんいる中の社会で生きていくということになると思います。そのためにはそういう経験をしていく、そういった事が求められていくのかなと思います。

私からは以上です。

ありがとうございました。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/原口さん、ありがとうございました。次に小栗さん、お願いします。

 

小栗/

私も映画を見ていて、学校が懐かしかったです。

私は、はじめ、特別支援学校の校長というのは、全くそういう見識がなく、そのように何も分からない中、参りました。

自分がこの役目を本当に果たせるか不安を抱え、最初の入学式のことでした。

その時、私が挨拶をしていると泣き出すお子さんや、その式典に入れないなど様々な方がいらっしゃいました。

私は、困惑した状態から入りましたが、1ヶ月くらい過ぎると、みんな一人一人全く違うのです。

そして、それは言ってみれば、障がいがあるからそうなのかも知れないが、だんだん私にはそういう風に思えなくなりまして、それが一つ一つが個性の違いのように思えるようになってきたのです。

そのとき、10人いればみんな違うのでその支援の仕方もたくさんの方法がある。

そのなかで、学校の中でもいろいろな葛藤があったとは思いますが、先生方も、支援の方法をめぐっていろんな議論がありました。

私も理論を聞いたり考えたりして一年経ったときに思ったんですが、たくさんの個性のあるお子さん達に接する、そのための支援の方法や取り組みは色々な方法があっていい。でも、たった1つ目的は、その子たちにとって、それが幸せかどうか。

そして、将来学校を卒業して子ども達が社会にでて、幸せになれるかどうか、どうしたら幸せになれるか?そのための議論であったり、支援であったりなのだと思えました。

「子どもたちの幸せのために」ということを、学校の目標の中に入れさせていただきました。たぶんその幸せを掴むためには、本当にたくさんの努力、葛藤、意見の交換、いろんなことがあります。

全てが順調に「おめでとう」という感じには、絶対行きません。

でも、そういうことを、いろんな立場の人たちがいろんな立場の考えで経験して、必ず見つけ出すことができるのだと。

このユニバーサル映画祭、私がやってきたアートでの取り組み、その他にもたくさんの取り組みが地域の中でされていると思います。

1つ1つがたぶん大きな街づくりに発展していくこともあるんじゃないかと思います。

このユニバーサルの社会が、しっかり街づくりに定着していくことで、この地域が幸せな場所になっていくのではと思います。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/小栗さん、ありがとございました。

次に島さん、お願いします。

 

島/はい。

今、お二方の話を聞いて、ちょっと頭の中に浮かんでいるイメージでお話をします。

法務局長の原口さんの子ども時代のお話ですね、病気でケガをされて足が遅かったということで、いろんな思いがこの言葉の中に感じながら話を聞かせてもらいました。

その中には悔しい思いとか、陰で涙した思いとかあったんだろうなと、それを悪く言う心なき言葉も、もしかしたら、小学校、子どもの時代には、あったんだろうなと思って。

それをやはり同じような区別するのではなく、特別視ではなく、同じ野球というルールの中で、きっと受け止めてくれたチームメイトだったり、学校の先生たちであったり、そんなとこできっと大きな勇気をえながら、原口さんは育って今があると、ちょっと感じて、自分にも置き換えながら聞かせていただいたところです。

栗先生の話もそうですが、やっぱり街づくりというのは、人づくりから始まるものと思う。

その人づくりは、教育、特に小さな幼少期の頃から家庭教育も含め、その子どもの人格形成がされていく、それが凄く大事だと思っているわけですが、私の話を少しさせてもらうと、いまから27年前ですが、中途で視覚障がいに、交通事故で突如なったんですが、そのときに思ったのは、やはり全く見えない自分になって将来がないと、絶望、自暴自棄になった時期もたしかにありました。

その時考えたのは、見えない視覚障がい者の自分の将来をまったく描けないということ。

それは21歳の時でしたが、21年生きてきて、視覚障がい者と接する機会も・理解する機会も皆無でしたし、目にする機会もほとんどありませんでした。その中で思い返せば、街の中で白杖をついていた人がいたかもしれないなと、それくらいはありましたが、その時自分はどう思っていたか。ふっと振り返ると、目が見えないんだな、かわいそうだなぁ、ぐらいなんです。

これは悪気があって思っていたことではなく、無意識に感じていた、正直なところです。そう思っていた自分が、可哀想だなって思っていた人間に、突如なった時に自分のことをそのように否定的に思うのは、ある意味当たり前。

ここで自分を自己否定する自分が出来上がってしまったのです。

つまり、優と劣で人間を見ている自分が、劣のほうの自分を見つけてしまったわけです。

それで自分の将来を考えた時に、希望がもてるはずがないですよね。

そういう無意識の中で対人間をみているときに、悪気はなく無意識に、人間、他者の事を優劣で判断してしまっていることが、これは27年前の話ですが、27年経った今も全く世の中はかわっていないと思います。

そういう所から、見つめ直していく必要があるんだろうなと思うわけです。

その続きの話をさせていただきますと、私自身が受障して、見えなくなって3,4ヶ月後、大阪で訓練を受けている時に、寮生活で同じ全盲の同世代の仲間がたくさんいた中で生活してたんですが、その中で、1人、重複障害。知的障がいと全盲の重複の障がいを持った仲間がいました。

私はあの瞬間があったから、今があると思うくらい大きい衝撃を受けた出来事なのですが、その方はそういう障がいなのでお母さんと行動をいつも共にしていました。

その彼と楽しく話をしていたときのことです。こういう性格なもんで、いろんな人と話をするのが好きで、よく寄ってきてくれるという1人だったのですが、何気ない会話をしているときだったですが、その時に、見えなくなって、4ヶ月程の中でこんなに腹の底から笑って楽しく感じたことがなかったという自分にハッと気が付いて、これはなんだろうと思ったんです。

その楽しい気持ちをもらっているのは彼からだった。

にじみ出てくる人柄とか人間性とか、会話の楽しさ、行動の楽しさだけではなく、彼自身からでてくるエネルギーに圧倒されてすごく幸せな気持ちにさせてもらっていたんです。

なんだこの力は、目に見えない力はなんだろうと思い圧倒されていた。

で、ちょっと隣にいるお母さんに目を、意識を転じたときにお母さんも本当に楽しそうにしていたんです。心の底から。

この子と一緒に笑っている瞬間がこの上ない幸せ。無条件に我が子を愛し、大好きで、一緒にいるのが幸せだという心が、真っ直ぐに伝わってきたのです。

私はその2人から出ているキラキラしたエネルギーを浴びて、大きな衝撃を受けました。

ぐるぐると回るなかで出たいろんなキーワードの1つが、「優劣」でした。

自分は彼のことを、友達とは思っていました。

でも、どこかで見下げている自分がいることに、気がついたんです。

彼は重度障害、わたしは全盲だけ。

彼の将来はどうなるんだろう、この先お母さん亡きあと、必ず来るだろう、1人でどうやって生きるのか。その1人の人間の価値というものを、いろんな物差しで瞬時に自分で「優劣」という物差しで観てしまっていることに気がついたんです。

地位とか名誉とか、学歴、金銭的価値観、将来の希望とか、そういうものは私自身の持っている物差しは、非常にちっぽけであると気がついたのです。

もっと言うなれば、私が持っていない力を、その彼はわたしに与えてくれていたんです。

ひとを笑顔にする、幸せにする、人に与える心にうったえるエネルギーを私は、まじまじと目の前で受けて、瞬間に「優劣」という価値観が本当に小さいものなんだと、もっともっと人間の価値は奥深いところにあって、対等に・平等にあるものなのだと。

その中で部分的には「得手不得手」、足が速い、遅いなど、得意、不得意、できる、できない、向き不向き、そういうことは断片的な一部分にしかすぎなくて、もっと大きなところに人間の価値があると、彼との出会いで学ばさせていただいたのです。

このひとコマだけではないですが、そういういろんな人との出会い、触れ合いの中で、本当にたくさん気がつかせていただくことがあります。

まさに頭で理解するのではなく、肌で触れ合って相手の身になって寄り添って、そしてその人の立場になって考えるという機会をつくる。

それが人づくりの教育の原点であって、その人づくりの先には社会づくりがあるのだと。

そしてその先には、みんなに優しく、明るくて温かい未来像が、必ずやあると思っています。

そんなことをこの映画祭では、本当に部分的な、映画という小さな一区切りで断片的なものでしかありませんが、この部分を小栗先生がおこなっているアートの世界だったり、スポーツの世界だったり、いろんなところで意識を他者との違いにふれあって、受け止めあい、認め合って、お互いを理解していくことが大切なのだと。

肯定的に、互いの違いを、特別なことではなく、当たり前のこととして認めあえるような社会を構成する人作りの場であるのが、学校教育。

みんなの学校のような教室、1つの教育の中で、ひとつひとつの環境が、たくさんたくさんできあがっていく過程がとても大切なんだなと。そして世の中も全く同じであると。

この映画には、そんな大きな思いが込められている作品のように私は感じ取って見せてもらいました。ちょっと時間オーバーしてしまいました。以上です。ありがとうございました。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/島さん、ありがとうございました。

鈴木さんに今回のシンポジウムのまとめとして発言していただきます。

鈴木さん、お願いします。

 

鈴木/

はい、今回のお3方のシンポジウムどうもありがとうございました。

非常に、それぞれの立場で、分かりやすくお話しいただき、皆様もいろんな気づきがあったと思います。

それぞれお立場というか、話の内容は違いますが、やはり共通するものがあったと思います。

その共通するものが、まさしくユニバーサルな社会。インクルーシブな社会だと思います。先ほども申しあげましたが、それぞれの方、分かりやすくお話しいただき、私がおこがましくまとめられるものではありませんが、最後に私も、それぞれ感じたことを皆様の前でお話したいと思います。ちょっと画面を変えていただいてよろしいですか。まとめということで書かせていただきましたが、私の立場で感じたことをちょっとお話しさせていただきます。

皆様はみんなの学校の映画をみてから、このシンポジウムを開催しているので、それぞれシンクロしてるかもしれませんが、映画を通じて、個性による違いの中で、皆で経験していくものだということが、1つキーワードとしてあったと思います。

また、今回、子供たちというのが1つのキーワードですが、子供たち一人一人が幸せになるためにということです。大人の部分もありますが、やはり子供たちは当たり前の話ですが、将来を担う、またこれからの時代を作っていく担い手になる人たちですので、やはり子ども達が希望を持てるように、またこれから良い社会をつくるためには大人達が責任を持って、子供たちを見守っていくということが重要ではないかと感じました。

これも当たり前ですが、こういった障がいですとか、個性の違いもありますが、「特別のものではない。」ということです。私も、本来ユニバーサルな社会と言っていますが、そうでない社会もユニバーサルと言っている気がします。

悪いことではないが、特別なことではない。当たり前な社会なんだということで、言葉で言わなくても良いような社会になることが良いと思うのです。

やはりその為には、いろいろと個々人が色々な気づきの中で色々と意識する事が重要だと思いますが、やはり教育がひとつの視点になってきます。教育の中でしっかりとした環境で育っていけば、意識しないでユニバーサルな社会が訪れるのではと感じています。

また「人づくり」の話がありましたが、教育って非常に重要だと思うんですね。

やはり人を作っていくということが、人を巻き込んで、今日出てきたような思いを、どんどん、そういった子どもたちを増やしていくということが、人づくりに繋がっていって、そういう人が増えていくと、地域に増えていって、そういった社会が訪れるのではないかと思います。

それで、さきほどユニバーサルデザインは非常に気づきが重要という話をしましたが、島さんがおっしゃった表現が的確だと思います。

相手の身に寄り添って、その人の立場になってということが非常に重要だと思います。

みなさん、映画を観てのいろんな気づきがあったと思いますし、また、先ほどコメントをいただきましたが、席を譲ってくれる方はいても、空いている席を教えてくれる人はいないという話がありました。

やっぱり、いろんな方たちがいて、どのようなことで困っているとか、そういうのをきちっと意識するといいますか、そういった教育がされてけばいいのかなと思っています。

今日子どもたちの目線が重要なキーワードになっていましたが、昔読んだ本で、妹尾河童(せのお かっぱ)さんってご存知でしょうか。

カッパさんと呼ばれ、それを本名にしてしまった方ですが、この方の本で、非常に緻密な絵を描く方で、いろんな本を出していますが、ある本の中で、いつも子どもの目線になってみよう思って、這いつくばって、いろんな家の中をはって歩いてみた。

そうすると、やはりテーブルとか非常に目の前にというか、目の上に立ちはだかっていて非常に怖く感じる。

大人の目線で見ると、なんともないテーブルなんですが、子どもの目線で見ると、非常に高くて怖い。あと、いろんな戸棚とか、何が入っているのか興味があり、開けたくなるのがよくわかると言っていました。奥さんにあきれられたそうですが、これは1つの例ですけど。

その目線に立ってとか、その人の立場に立って見るというのは、非常に重要だと思います。

あと一つ「マーケティング」と書いてありますが、今回の話と離れますが、経営マーケティングの中で子どもたちにものを買ってもらうために、例えばアンパンマンとか、そういうものを子どもの目線で下の方に置くと「お母さん買って」と、よく売れるということもあります。マーケティングの世界では視線の上下15度前後はよく目についてよく売れるという話もあるんですけど。ゴールデンゾーンといいます。

それもまさしく大人の立場でお店づくりをすると、子どもに来てもらうために子どもの物を置けばいいという単純なことではなくて、子どもの目線に低く立ってみて見て見ると、違った世界が見えてくる話がある。それも同じことだと思うんですね。

今日も特別なものではないという話がありました。私も普段、ユニバーサルデザインで学生に話すが、障がいとかそういうものだけでなくて、いろんなシチュエーションを考えてみなさいという話をしています。

立場もありますが、シチュエーションというのもあります。

例えば、ユニバーサルデザインでよく言われてますが、自分がもしケガをしたらどうするか?また、高齢者で腰が曲がって上が見えなくなったらどうするか。子連れだったらどうするかとか。

空港でユニバーサルデザインに関わっていますが、別に障がいがなくても海外旅行に行くときには、大きいスーツケースを抱える。大きい鞄をもっていたら、どうだろうか。

狭いとか、トイレに入りづらいなど、色んなシチュエーションを考えると良いと思います。

あまり話すと長くなるので、これくらいにしますが、今回色々な立場から色々な視点で子どもというのが中心でしたが、色々な話が聞けて、私自身も有意義なシンポジウムでした。色々と勉強させていただきました。

皆様、それぞれ、その思いを大切にしてこれから社会の中で生活していただければと思います。

それでは、私の話、長くなりましたが、これで私の話を終わります。

どうもありがとうございました。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/鈴木さん、ありがとうございました。

最後に私からも少し感想を述べさせていただくと、

島さんや鈴木さんがおっしゃってたように、相手の立場に立って考えることが一番大事だと思いました。

それは人間関係の中でしか学べないので、家庭の後は学校で、学校の後は社会でということで、学校は色んな事を学べる場で、辛い事、悲しいこともあると思いますが、その中で暖かい場所で、誰をも包みこめる場所であったらいいなと思いました。

以上です。

最後に、ご登壇いただいた原口さん、小栗さん、島さん、鈴木さんに大きな拍手をお願いします。

 

会場/(拍手)

 

渡辺/以上をもちまして、本日のシンポジウムを終了いたします。

最後までご参加いただきまして、誠にありがとうございました。

 

会場/(拍手)